![]() |
![]() | |
![]() -はじめに-
はじめに チェンバロを弾く人はとても少ないです。それにともない、知り得る情報もとても少ないです。有ったとしても、プロまたはセミプロ、もしくは少なくとも音大生向けの情報だったりします。ただ単に好きで趣味にしたいという人間にはとても敷居が高く感じられます。 もちろん、その構造、歴史などについての解説はウィキペディアにも詳しいくらい多くあります。でも趣味にしたい人が知りたいのは、ピアノを弾きたい、ヴァイオリンを弾きたい、ギターを弾きたいといった人達と同様の実際的なものです。例えば、習わなくともピアノを弾ければ大丈夫なのか。習いたいと思ったら、教えてくれる教室はあるのか。そもそも何処でどうやってその楽器は手に入れられるのか。お値段はいくらするのか。購入後のメンテナンスは必要なのか。必要ならばそれをどこに頼めば良いのか。そしてやはり、いくらかかるのか。 興味関心はあるけど踏み出せないという人を後押しできるよう、実際に役立つ情報の提供をさせていただきたいです。そして、知らずにいては惜しすぎる「音楽」の感動を分かち合える人が少しでも増えることを願っています。なお「入門」と題したものの、仕組、用語等、他サイトでも容易に見つかる情報は割愛させていただきます。
出会い 英語の商標を「デジタル・ハープシコード」。つまり「ローランド電子チェンバロC-30」。始まりはこれでした。 20年ぶりに集合住宅の借家から戸建ての家に越した時に、またピアノを弾きたいと思い立ったことがきっかけです。それまでも電子ピアノは持っていたのですが、タッチも悪ければ、見た目も悪い。音は不自然。しかもその変な音さえ近隣への気兼ねから自由には出せないので、すっかりやる気を失ったままでいました。しかし戸建てに越したのを期に、さあピアノを、、、と張切ったものの何か違和感がありました。 歳と共に音楽の好みは変わるものです。若い時は何といってもオーケストラ。それが段々と室内楽のような小編成のものに。ピアノというものも、今では音も図体も大き過ぎる気がするのです。とくに個人の家に置くに相応しいとはとても思えません。その違和感の隙間にすっと入ってきたのが、前述の「デジタル・ハープシコード」でした。実は、この時はまだ、特別チェンバロにこだわりがあったわけではありませんでした。 鍵盤少なし。ペダル無し。故に弾ける曲が限られてしまうけれど、歳と共にショパンやドビュッシーのような派手な好みも消えてしまったし。ピアノフォルテでモーツァルトは弾けるからまあいいかと。この軽いタッチに慣れたらピアノの重い鍵盤はもう弾けなくなるかもしれないけれど、この先、人前で弾く機会も無いだろうしと。
ローランドC-30 さて、ローランドC-30。とても良かったです。あくまでも偽物の楽器ですが、それでも私は、この楽器によってバッハをモダンピアノで弾くことへの批判をよく理解しました。例えば、バッハ弾きのピアニスト、タチアナ・ニコラエワが批判に対し、それはピアノを弾けない人がそうおっしゃると反論しましたが、それには正反対の反論が成立します。つまり、チェンバロを弾けないからそうおっしゃるのですと。ニコライエワはとてもロマンチックで美しいです。しかし、バッハは美しいけれどロマンチックではありません。ニコライエワがバッハを弾く時、それはニコライエワを弾いているのです。それと対照に、誰かがチェンバロでバッハを弾く時、それは正しくバッハです。 私の思いついた分かりやすい例を紹介しましょう。フルート、チェロ、などの単独のリサイタルで声楽やヴァイオリンの曲をプログラムに入れることはよくあります。これらの楽器のためのオリジナル曲は少ないですから。誰でも分かると思います。フルートでヴァイオリンの曲を吹く理由は何でしょう。それが美しいからではありません。ヴァイオリンが無いもしくはヴァイオリニストがいない、しかしフルートとフルーティストがいるからです。チェロで声楽曲を弾くのは、歌手がいない、しかしチェロとチェリストがいるから。単にそれだけのことです。バッハをピアノで弾く理由は、それらと全く同じです。ピアノはあるけれどチェンバロが無いからです。
独自の楽器としてのチェンバロ ついでに言いますが、ピアノでバッハを弾く時、ペダルをどうするか、強弱をどうするか、よく問題になりますが、これらの議論は無意味と言って良いでしょう。何故ならピアノにはピアノの、チェンバロにはチェンバロの特性があるからです。それを無理に曲げようとしても良い結果は得られません。フルートやチェロで編曲物を扱うときにヴァイオリンや人声に似せようという努力は無駄でしょう。ピアノのバッハもそれと同じです。 ではピアノの特性とは何でしょう。大きなものの一つには、奏者の主観をよく反映するということがあります。作曲者の意図よりも演奏者の意思が強く顕れることもしばしばです。しかし、自然とそうなるものをわざわざ殺しても、楽器本来の持ち味を失う以外、効果は無いと思って下さい。ピアノはピアノの書法を守るより仕方ありません。もう一つの大きな特性は、その高い汎用性です。とくに編曲物は得意です。オーケストラさえ再現できます。チェンバロのショパンは考えられませんが、逆は楽々こなします。この、他の楽器には見られない優れた特性のお陰で、バッハも一見不自然と思われません。 ではそれだけ優れたピアノですから、廃れかけた、一時は本当に廃れたチェンバロは世の中に不要と考えることも出来るでしょうか。結論はやはり、チェンバロを弾けない人がそれを是というのです。ギターから改良されたエレキギターを考えてください。この楽器で「禁じられた遊び」や、「アルハンブラ宮殿の思い出」を真面目に弾く人はいませんね。でももし、この世にアコースティックギターが廃れてしまっていて、現存する楽器が殆どなかったとしたら、その名曲へ憧れる人たちはエレキギターをもってしても再現しようとするでしょう。しかしエレキギターが最高に良いわけはありません。
ローランド ローランドC-30。専門家にも素人にもすこぶる良い評判ですが、私は、今は少し残念な機械だと思っています。何が問題か。一々あげればきりが無いですが、根源的にはローランドの、もしくは企画、開発担当者の見識の低さです。おそらく企画、開発担当者にチェンバロを弾く人がいなかったのだと思います。演奏家を顧問としているかもしれませんが、その人物が中心的な役割を果たしたとは到底思えません。専門家の評価についてはローランドの息がかかっているだろうと思えば、割り引いて考えるべきは当然です。しかし何の利害も無い人たちに好評を博しているのは、やはり多くの人がチェンバロを知らないからでしょう。私も見たことも触ったこともない時には、そうでした。何か釈然としない気持ちから、皆がべた褒めの中、少し批判的なレヴューをAmazonに書きました。(2018/4/15、Amazonから削除されていることに気が付きました。メーカーの圧力でしょうか、販売者の圧力でしょうか。購入を検討している方に公正に情報を提供することを目的に、以下に内容を転記しておきます。)
Amazonレビュー ローランド 電子チェンバロC-30 ★★★☆☆ 端的に言って、これはチェンバロではありません 電子ピアノはピアノとは似て非なるモノとは、よく言われるところですが、この電子チェンバロについても、それは強く当てはまります。それでも、これくらいのお値段の電子ピアノならば、廉価なアップライトピアノに比べれば、よっぽど良かったりするものです。しかし、殊この電子チェンバロについては、それは期待できません。木目の外観は良く見れば印刷です。鍵盤はツルツルのプラスチックです。タッチは多少の工夫があるらしいですが、もどりがバネそのもののそれです。数が出ないだろうし、他社に競合する製品も無いので、仕方がないのだとは思います。
そうは言っても結局は値段です。問題があっても値段が安ければ、不満は無いです。そういう意味で今、練習用に最適な楽器は カシオCTK-240だと思っています。1万円もしません。音域は平均律第一巻に丁度。トランスポーズ機能でバロックピッチOK。タッチは私が試した中では、一番軽いです。 楽器に憧れのある人には残念かも知れませんが、将来本物を手に入れる予定が確実ならば、とりあえず練習用にはこれで良いと思います。 |
||
![]() |
![]() |